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はじめてのにき

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ToDo:


2013-04-13

_ かんぼじあにき1

一番の目的であるシェムリアップ。

1日目

空港に着いて思ったのは、なんかこじんまりとした空港だなあと。初日はもう遅いので、適当にタクシーに乗ってホテル行って寝るだけ。タクシーの人に、明日どうするんだ俺使わないか的なことを聞かれる。まあまあうまい英語。僕より下手だけど僕より通じると思う。んー明後日とかいいかもねえとか言って、タクシー欲しけりゃ電話するよって言って電話番号を聞いておく。

夜飯はホテルの前のカンボジア料理にフランス料理の技法を使ったとかいう高めなレストラン。たしかにうまかった。特になんか鳥のエサぽいサラダが。

2日目

とりあえずどう見ても車かトゥクトゥク(タイのやつと違って日本で言うバイクに客席が付いてる感じで、タイより合理的)か2ケツバイクがあると良くて、自転車でも結構しんどそうだったので、初日は1日ツアーを申し込んであった。一人旅でツアーとかはじめてだなぁ、他の人とかいるのかなぁ、と思っていたけど、一人だった。

早起きしてアンコールワットから朝日見るツアー。アンコールワットのチケットに自分の写真とか入っててすごいハイテクだなーと感心する。$40で3日とかいう券。カンボジア価格としてはかなり高いと思う。具体的にはホテルは同じくらいの値段だったけど、アメリカマウンテンビューだったら $150 くらいかなーとか思った。

で、日本語ちゃんと喋れるガイドにこのへん座ってるといいですよ、と言われて座って朝日を待った。曇っててイマイチ。残念賞。行きは暗くて見えなかったけど、この時アンコールワットの外っかわの参道とかが見える。堀が広いなーと。このツアー単品で $20 と高め。

適当に近くのマーケットを見てまわる。適当にスープ屋みたいなとこで朝飯を食べる。なんか細麺フォーみたいなもの。うっかり肉が色々入ってる種類を頼んでしまう。なんか内臓入ってるなーと思いつつ深く考えず食う。後で食あたりに苦しんだんだけど、たぶんコレ。一応水とか氷とかかもしれないけど。

んで1日ツアー。近所の有名所を回ってくれる感じ。午前中はアンコールトムってやつだと思う。その中はバイヨンってのがメイン。まぁすごい。イマイチ言語化しにくいけど、よくこんなデカいもの作ったな、ってのがまずあって、そのデカいのに片っ端から彫刻がされてるのにも感心する。彫刻は石に掘ってからつなぎあわせるとズレちゃうので、ちゃんと建物として作ってから掘ったとのこと。デカいもの30年とかかけて作っちゃうのも、それにミスなく彫刻掘るのも、神様の住処だから当時の人は良いことをして天国に行きたいと思ってたから真剣だったとかなんとか。

このへんのものは大乗仏教時代の遺跡ばかりで、その後のヒンズー時代に仏像は簡単にえぐり取れるものはえぐり取って、変わりにヒンズーの神様にしちゃった部分があるとかなんとか。建物自体は壊されないんだな、とか。

このへんでナーガとガルーダとかについて説明を聞く。前者は仏教の大事なもので奇数頭の蛇、ガルーダは鳥だか鳥人間だかでヒンズー。なんか一緒にいるとこが結構あるんだけど、それは融和のシンボルらしく、当時の王がいい王で、仏教とヒンズーどっちでもいいよという時代だったので、仲良くしなさいね、的なものぽい。なかなか先進的だと思う。

歴史的には、元々ヒンズーで、大乗仏教になって、その時バイヨンとかできて、んでヒンズーになって、んでアンコールワットができて、その後宗教戦争があってヒンズー原理主義的なのが勝って仏教の彫刻を彫り直すとかすごいことやったりして、それからヒンズーやっつけて上座部仏教になった的な感じぽい。12,13世紀の話。

あとはアンコールトム適当なとこ行ってから、タプロームというやつに。木が遺跡にからまりまくってるところ。なんか木を取り除かないと木が成長してどんどん遺跡が壊れていっちゃうんだけど、タプロームは彫刻もそれほど良くなくて、木を取り除いちゃうと客がいなさそうだから、適当になあなあにしてるとか。ていうか木が石の塊の建物こわしちゃうんだなぁと感心する。

昼飯…はまあ普通。このへんで予想された通り食べ物はベトナムの方がうまいかなあと思いはじめた。

マッサージどうですかとガイドの人が言うので、まあマージン欲しいんだろうなあとはい行きますよと行った。いまひとつ。ベトナムの方が良いと思った。

休憩してから、昼はアンコールワット。まーすごい。色々物語とか掘ってあって、ガイドの人が説明してくれるんだけど、お前は何を言ってるんだ的な物語が多い。

印象に残ったのはこの乳海攪拌というやつ。1000年間ヘビの綱引きをしていた神々とアスラたち。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%B3%E6%B5%B7%E6%94%AA%E6%8B%8C

この後山に登って夕日を見に行く。上でぼんやり待ってたら、中学生くらいの女の子が話しかけてくる。ああこれはよくわからない理由で1ドル寄越せと言われて取られる展開だなーと即座に思った、けど違った。日本語を勉強していて宿題で日本人5人と話して聞いたことを記録せよというのがあるので、少し話してほしいと。どうせ待ってるだけでクソ暇なので喜んでと話をする。とはいえ複雑な会話はしんどそうで、基本的には向こうが聞いたことに一問一答で返事する感じ。記録も日本語でしてて感心。日本語勉強してどんくらい、って聞いたら1年とか言ってたと思う。1年であんだけできればすごいなーというレベルだった。

どうもこの国は語学教育がかなり熱心ぽい。そしてみんなレベルが高くて、実際町で英語がびっくりするくらい通じる。ベトナム日本とは比較にならない。シェムリアップは観光しかやってないような町だから特別熱心なのかな、と思ってたけど、後でプノンペンでもあんまり変わらない感じだなぁと思った。

それはそれとして、調子悪いなーと思ってたけど腹痛くなってきたので、まあ曇ってるしいいかと夕日の前に下山。あーやっぱ下痢ですねー的な。食欲無いけど夕食に連れていってもらうも、一口たりとも食えない感じだったのでホテルに帰着。この一日ツアー $37 だっけ。夕飯無しなら $30 。

山入る前に明日ツアーどう、って言われてて、1人だと $150 のやつが今ちょうど1人いるから、2人目になれば $75 だよ、って話で、ああそのツアー見たなあだいたい行きたそうなとこだったなあとか言ってた。山下りて、しんどいから明日行けるか微妙だなあしかし明日ツアー以外で回る気合いがあるとは思えないし、申し込むかーとお願いした。

あとどっかのタイミングで土産どうすかーと言われて、まあ見るだけなら見てもいいけどと思ったけど、休憩しますーて言ったら土産屋に連れてこられて、はて…と思いながら見たりした。なんかわりと想像を絶するくらい面白くない土産物屋だった僕的には。具体的には布と彫刻しか無い感じ。

ガイドとの会話で印象に残ってるのは、日本のケータイの値段を聞かれて説明に困ったのと、あとなんでガイドになったかみたいな話。もともとトゥクトゥクの運転手をやってて、なんとなく日本語を月 $2 の寺子屋(!) で勉強しはじめて、ある程度読み書きできるようになったから日本の観光客と日本語を話してみたりして、それからガイドの資格を頑張って取ったとかなんとか。日本の客はそこまで多くないからガイドはアルバイトで、普段はタクシーの運転手をしているとのこと。朝のガイドも似たようなことを言ってたと思う。

なんで日本語にしたの中韓の方が人多いよね、と聞くとあまり好きくないから、とのこと。マナーとかの話かな。日本も3,40年くらい前は海外旅行のマナーひどかったという認識で、中韓もほっときゃそのうち良くなると思うんだけどな…

晩は苦しかった。なんかずっとトイレ行ってる感じの。途中あーもう無理だなー明日はキャンセルでいいや飛行機もキャンセルして Siem Reap 滞在日数増やそうとか思っていた。

3日目

電話が鳴って起きる。ツアーの出発時間8時ですよーとか。いやー無理でしょーと思ったけど、動いてみると結構ラクになってるので、ツアーくらいなら行けるんじゃね、と行くことにした。

バンテアイ・スレイ。赤色の遺跡。彫刻が細かい。東洋のモナリザとかいうのがあるのが有名らしいけど、まあそれはしょぼかった。

クバール・スピアン。かなり歩いて行った先に水が流れてるところに彫刻があるっていうところ。なんかまあ山なわけだけど、犬が2匹あらわれたと思ったら行きはずっと同行してくれていた。帰りは3匹に増えたと思ったら1匹に減ったけど最後までいた。他の組もあったのになんでうちについてきたんだろう、ガイドの人徳だろうか。山はいつもなら全く問題にならないレベルなんだけど、なんも食べてないし腹痛もひどいしで体力落ちまくりで、結構しんどかった。

確かに水が流れてるところに彫刻があるなあっていう。ここはリンガって言われるものがたくさんあった。シヴァ神の男性器の象徴らしくて、とにかくいっぱいある。すごいなあとか思う。女性器の象徴の上に男性器の象徴を乗せたものに、水を流すとそれは聖水になると考えられていて、人々は病気になると飲みにきたりするとかなんとか。なんというか変態でしか無いと思ってしまうよね。

昼はツアーの用意したお弁当なんだけど、少しだけ食欲があったので少しだけ。

ベンミリア。この日一番行きたかったところ。なぜならラピュタのモデルらしいから。実際ここはかなりいいところだった。なんかバルス使用済みって感じの崩壊ぷり。木が遺跡にからみまくってて、まあ木が壊したんだなあとよくわかる。

夜はカンボジアカレーを食った。カンボジアカレーは食ったことあるから知ってて、カレーを冠するものはたいてい好きだけどカンボジアカレーはその中で最悪に近くて、あえて確認してみた。やはりこれはいまいちだと思った。スパイスが足りなさすぎるんだと思う。基本ココナッツミルク煮込みでしか無い。

しんどいので寝る。

4日目

しんどいのでゴロゴロしつつ、朝飯探し。カボチャプリンというのが名物らしいなーと見つけたので、デザートだけとかならお腹にやさしいかなと頼んでみる。何故か違うのが出てくる。カボチャをココナッツミルクで煮てタピオカ入れたようなやつ。まあおいしいからいいかと。

ホテルに戻ってそろそろ出発してもいいかなーという気になってきたので、初日のタクシーの人に電話する。11時からーて言ったら13時からーと言われた。行きたいところは地雷博物館と湖だけで、時間足りそうだし、まあいいかとごろごろ。

地雷博物館はなんかすごいところだった。何がすごいかというとこれを作った人がすごくて、数万の地雷をスコップとペンチだけで解体して回った英雄らしい。飾ってある地雷の残骸は全部その人が解体したものとか。そのスコップとペンチ殺法は今は国際法で決まった方法に従ってないから、国にやめろって言われて、しょうがないからやめたけど、どうしても自分で地雷撤去したくなって国際法のライセンスを取って今は正規のやり方でやっているらしい。正規のやり方はかなり金がかかるぽいし、地雷の解体とか禁止で、爆破しないといけないから、最初からそのやりかたしてたらこの博物館なかったんだなあと。

あとその人はついでに孤児を育てて、博物館は孤児院にもなってると。なんというかいい人の権化みたいなのがいるもんだな、と感心した。

湖。水上村を見るってのがメインぽい。うわー本当に水の上に住んでるなーと。なんで住んでるかって聞くと、貧乏で陸地に家が買えないってことなんだけど、しかしカンボジアの場合土地代とか無い場所いくらでもありそうだし、勝手に家建てるなら水上より地上の方が安いし、雨季と乾季で移動とかしなくて良くていいんじゃ…とか思って腑に落ちなかった。

で、恵まれない子供に食べ物を買ってあげて、学校に行って感謝されよう! とかいう寄付イベントが発生した。買った食べ物は子供のところに行くし売り上げも子供達のために使われるんだよ、とかいう説明を聞いて、それは僕の寄付にあわせてアンタが子供に食料あげてるよね、明らかにあなた現地人でボランティアとかじゃないからおかしいよね…と思いつつも、まぁ要は学校の入場料でしょってのと、ゼロ貢献ではないだろうということで払った。このへんで手持ちの金がほぼなくなってはてという感じだった。

でー学校はなんかすごい綺麗な格好した先生と子供がいて、なんかホンマかいやという感があった。あとアングリーバードが子供達の持ち物に使われてたのも謎。遊んだことは無いよね普通に考えて…学校でなんか米の上にゆでた卵を乗せてナンプラーかけただけみたいなものをもらう。腹壊してロクに食べてないのでうまそうすぎる。その後飛行機てこともあって腹の調子が不安だったけど、うまそうすぎて食べた。実際おいしかった、というかナンプラーをソースなり醤油に変えれば日本でもよく食べるおいしいものですしね…

なんかタライを器用に操縦して移動してる子供二人がいて、撮ろうとするとワンダラーワンダラーと叫ぶ。適当に撮ってから $1 あげてもう一人の子にあげようと思ったらもうドルが枯渇していて、カンボジアリエルをぐちゃっとあげて、破産した。

帰りはなんかビールとツマミがふるまわれた。でも腹的に食欲もないし、ビールもそういう気分じゃないので遠慮してた、が、まあ蟹一切れとビール一本だけもらって、しょうもないことを船ガイドと話しながら帰った。出る前にガイドと運転手にチップをくれと言われる。いろいろしてやったじゃないかと。まあ少しくらいやるのはやぶさかではないけど、しかしさっき全部くれてやったので何もあげれないよと言うと悲しそうだったけど、「お前が楽しんでくれたらまた他の人が来て俺の仕事が増えるからいいよ」とかなにやら殊勝なことを言っていた。しかしアンタらが寄付してやれと言ったんだけどね。

でまあタクシーの運転手とくだらないこと話しながら空港へ行ってプノンペンへ。しかしこの運転手英語うまいなーと思ってどんくらい勉強したのって聞くと2年。すごいなあ…としか思えなかった。ガイドとかはやらないの? て聞いてみたところ、タクシーの運転手好きだし、高校出てないとガイドできないとのこと。高校の途中で仕事しないと家族きつそうてことで仕事はじめたとかなんとか。まあ大変やね。

込み入ったこと聞いたし、英語通じるし、言った通りのとこ行ってくれたし、ってことで、大目にチップとかあげといたりした。

チップは文化としてあんま無いらしいけど、お金は物理法則に従って高いところから低いところに流れるべきという考えから、なんかやってもらった時とか、レストランとかタクシーとかガイドとかでは、基本気前よくあげている。けど、向こうからチップくれとか言われるとかなり萎える。チップ文化無いからチップくれとか言われると精神への動揺がかなりある感じで。

(03:01)

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