ToDo:
立花隆の本を読んだ。 この人主張とかたぶんあまり好きくないこと多いし 文調とかもあまり好きくない感じだと思うんだけど、 いやまぁ細かいことまでまとめてくれてるなーということでたいへん面白かった。
つまりこう脳死というのは意外と難しい問題だったんだなぁとわかった。 たぶん賛成反対で聞いたりしてたのはイマイチだったんだろうなぁという程度に 色々なレベルの主張がありえるみたいだった。
どこが死か
脳死って何
このへんはもっと色々なレベルがありそう。
脳幹は要は外から観察可能な意識を司る部分なので ここが壊れちゃうと事実上こう 外から観察可能な意味が全て消えちゃうよね的な意味で 脳幹死んだら終わりというのが4つ目の立場だと思う。
大脳はもうちょい上位の思考をする部分なので、 脳幹死んでても夢とか走馬燈とか見てるかもしれない。 さらに麻酔で完全に脳幹が機能停止してても 周囲の状況を知覚していた人がいるらしいことから、 周囲を見てる可能性はあるわけだ。 ただ当然、脳幹死から復帰した人がいないので そんなことは誰にもわからない。
壊死の開始的などうしようもない状態はどう判定する?
大脳の死をどう判定するか
脳幹の死をどう判定するか
その他
脳死した人に対して
臓器移植について
なんか他にも色々あったけどこのへんが一番印象に残った論点かなぁ。
個人的には最初の方は脳幹死+それなりの判定+医師の判断程度、 いやむしろ植物状態とかやっちゃってもいいんじゃないかなーとか 思いつつ読んでたんだけど、 しかしどこから死かっていうと脳幹とかどうでも良くて むしろ大脳の死な感覚があった。
つまりまぁ僕は死んでなくても絶望的なら 殺して移植しちゃってもいいんじゃね? と思ってるんだろうけど、 しかし生きてる人殺したら殺人だっていう 当たり前の論理は当たり前ながら当たり前なのであって。 しかしこう緊急避難的なこと考えると やっぱ別にいいんじゃねとか思いもする。
立花隆は殺人とか論外、脳死が確定なら移植はアリ、 しかし移植のための脳死確定は大変重要な判定なので もっともっと厳しい基準を設けるべき、 治療中断のための脳死確定はまぁそれなりの基準で別にいい、 って立場らしい。
移植と治療中断の基準が変わるべき、ってのは まぁ殺人か否かってところで明確に違うんだーっていう話らしいんだけど、 このへんが一番共感できなかった。
(05:40)
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