ToDo:
人生に意味はあるか、みたいなやつに、どういう立場があるのかとか考えてみる。とりあえず、人生以外に対して意味はあるか、という質問への解答と関連がある気がする。
普通に考えると、 YNY と NYN は不自然な気がするので、 YYY YYN YNN NNN NNY NYY の6種類になるのが自然かな。
こういう話を考える人のうち、たいていの人は1つの解を信奉するよりは、なんとなく複数の立場が混じってる感じな気がする。
あと、 Y/N で切れるものでもなく、それぞれに対して、「わからない」「わからないということがわかっている」などの解を持ってる人もいると思う。というかこの手の話に42以外の解は無いというか、Y/Nどっちかが定理だと信じれるのは多少宗教的な力がいる気がする。
原理だとする立場は割と理解できる、というか僕が人生の意味について、そういう感覚な気がする。つまり、わからんけど意味無いとすると自殺と他の行動の評価値が同じになっちゃうから、とりあえず意味あるというのは盲目的に仮定しよう、的な。
(12:19)
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論理哲学論考、釈迦、あるいは素晴らしき日々ですね。
ウィトゲンシュタインてやつ読めばいい感じですかね。釈迦はNNNバカになれば幸せである、ていう思考な気がしていて、それは底辺の保証であって僕が取りたい立場じゃないなあ感あります
釈迦が直接的にはこの3つの問いに言及したのかわかりませんが、基本的には「観測し、そこから推論できることについて語る」ってスタイルだったはずで、そうすると3つの問いとも答えは「わからない」あるいは沈黙かと。
ウィトゲンシュタインはど真ん中ついてて、論理哲学論考の6.41がそれでしょう。あるいは6.53か。
http://tractatus-online.appspot.com/Tractatus/tlpservice/tlpJP.html?ja#6.41
本格的に読む場合は「ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む」がよいそうな。
なお、後期のウィトゲンシュタイン(哲学探究)はまた違った考えを持っていたようですが。